2013年10月27日

PENSの想い その10

これはもう10年以上も前の話だと思います。
ある新聞の記事で、今も忘れることが出来ず、時々思い出す事故があるのですが、それは小学6年生の男の子が、祖父と山に出掛けるところから始まります。

小さい頃は大きなおじいちゃんも、近頃はめっきり歳を取ったな、などと、小学校6年と言えば、そんなことを考えるようになる年頃です。
しかし、突如そこで、事故が起こります。
そのおじいちゃんが、何かにつまずいたかで足を骨折し、山中で動くことが出来なくなったのです。

その男の子は、助けを求めるために、山道を駆け下りる。
大好きなおじいちゃんを一刻も早く助けたいというその想いが、自分の心から弾けだすほど強かったのだろう。
とにかく、全速力で走る。
今、自分に出来ることはただ全速力で走ること。

だが、その子は足を踏み外す。
そして滑落。
とても、とても本当に残念なことだが、その子は命を失ってしまう。

記事を読んだ直後、その尊い命の死、そして、それを知ったおじいさんの心を思い、言葉にならいないほどの衝撃を受けました。

時折、今もこのことを思い出します。
そして、この子はとても優しい心の子だったんだろうなあ、と思い、また涙が溢れ出します。
この子の尊い死は、私の中で生き続けています。

写真・文:円満堂 修治

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2013年10月22日

PENSの想い その9

便利と不便。
幸せと不幸せ。

極端かもしれませんが、これはもしかすると、反比例するのではないか、と思うこと
がよくあります。

便利=幸せ
楽=幸せ

即ち

不便=不幸せ
苦労=不幸せ

本当にそうなのでしょうか。
苦労があるから幸せを感じることが出来るし、不便だから、助けてもらったとき大き
な喜びを感じるのではないでしょうか。

もちろん、バランスという要素が大切だと思いますが、日々の事件、事故を見るたび
に、このようなことを考えてしまいます。

写真・文:円満堂 修治

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2013年10月07日

PENSの想い その8

引き算と足し算。

今、必要なのは引き算ではないだろうかと思います。
有る物からどうやって、やっていくのか。

有る物とは、時間、材料、知識、蓄えなど目の前に存在する全てのモノとコト。
そして、それはもちろん自分の寿命も含まれます。

これがないから出来ない。
時間がないから出来ない。
やったことがないから出来ない。
自分の担当ではないから出来ない。

あるコトをやろうとすると、出来ない理由ばかり考えてします。
そして、その理由を解消するためには足すしかなくなってくる。

風呂敷に広げてみて、そこに散らばっているいろんなモノを拾い集めて創りだすこと。
あるいは、自分に与えられた時間を逆算して、今何を最優先にすべきかを考えて行動
すること。

案外簡単なようで難しいのですが、今とても大切な考え方ではないかと思っています。

写真・文:円満堂 修治

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2013年09月05日

PENSの想い その7

PENSは、利益を追求したイベント事業者でありたくありません。
もちろん、まったく未熟であり、これから勉強することは山のようにありますが、
PENSの信念としては、子どもたちを正しく導く教育者の一端でありたいということです。
ですが、この問題は、PENSがいくら頑張っても、全く話になりませんし、学校だけもとても十分ではありません。

日々、各プログラムの報告を聞いていますが、そこで考えさせられることは、現代の子どもたちの行動、考え、リアクションなどです。

子どもというのは、ともかく純粋です。
純粋とは、素直であり、何でも信じるということです。

まず、このことを大前提にして、大人たちが子どもに向き合えているのか、ということが気になっています。
こういう大切な時期に、「大切なこと」を伝えないで、いつ伝えるのかということを、よく考えます。

そして、この「大切なこと」とは、理屈的に突き詰めて正しいか、正しくないかという難しいものではないと思うのです。
大人たちが真剣に想ったこと、真剣に考えたことでいいのだと思うのです。
まず大切なのは、それを真剣に向き合って「語る」という行為ではないでしょうか。

ただ、それだとあまりに無責任ですよね。
それを伝えた責任として、その後も、それが正しいか、正しくないか、を自分に問うこと、問い続けることが、大人たちの務めだと考えるのです。

どんなに後になっても、もし伝えたことが正しくないことだったら、その時点で、
「あのとき言ったことだけどね、よく考えたら間違っていた、ごめんな」
と、素直に伝えたらいいと思うのです。


写真・文:円満堂 修治

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2013年09月03日

PENSの想い その6

「道徳」とは、「道」と「徳」から成り立っている。
「道」とは、他者に説く生き方のこと。
例えば、「親孝行をしなさい」「年上を敬え」など、いずれも人が進むべき「道」を示しています。
「徳」とは、上の立場にいる人間が下の者に見せる生き方のこと。
社会で指導的な役割を果たす人が、立派な振る舞いを見せることで、下の者も「ああならねば」と思うのです。

子どもを叱ったり、他者を非難するばかりではなく、自分も省みない限り、この道徳ということが保たれない、成立しないということ。

写真・文:円満堂 修治

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2013年08月31日

PENSの想い その5

家の庭を畑にするため、土を掘り返して土と石、あるいは石の大きさを分類する作業を続けています。
これらの作業を通して感じたことですが、「分類」という作業そのものが、生きて行く上で、非常に重要なものではないか、ということです。

膨大な量の何かを分類をする場合、両手を使い、瞬時に判断しなければなりません。
ところが、おもしろいもので、こういう単純な作業を続けているとき、客観的に別のことを考えているもう1人の自分が必ずいるということです。
これは私だけかもしれませんが・・・。

「やり方は正しいのか」
「もっと効率のいい方法があるのではないか」
「時間の無駄ではないか」
「こんなことをやって、どれだけの収穫になる」(収穫とは人生とか、そういう大きな意味でです)

そこで思い至るのは、こういう単純作業こそ、脳をフルに使っているのではないだろうか、ということなのです。

この単純作業で思ったことから、話を少し飛躍します。
幼い子どもたちが、大人からすれば無意味な作業を延々行なうことがあります。

砂場でスコップですくった砂を、その場に捨てては、またすくう。
積み木を積み上げ、倒れる、をひたすら繰り返す。

まったく見当違いかもしれませんが、もしかすると、こういう無意味な作業を繰り返しているとき、子どもたちは頭の中がフル回転しているのかもしれません。

写真・文:円満堂 修治

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2013年08月25日

PENSの想い その4

今回は、1サラリーマンとして、ちょっと愚痴的な内容です。
日々必死にサラリーマン生活をしていて、愚痴のない者は、私は本気で仕事をしていない、と断言してもいいくらいだとと思う。

現在、巷でよくブラック企業だとか、パワハラとか聞きますが、大体こういうものは弱い立場の視点からの話が多い。

例え、99%原因がそうであっても、私は100%ではないと考えています。
残り1%でも違うならば、そういう視点に立った場合、その当事者はどういう心境なのかを考える必要があるのが当然です。

私は26年間、企業人ですが、昔は当たり前だったことが、今は違います。
今なら訴えられるようなことでも、昔は歯を食いしばって耐えきました。
それだけ個人、企業、そしてこの国が、生温くなってしまったのではないだろうか、という心配なのです。
何でも他のせいにしてしまうということをどこかで止めなければ、雪崩のように、いつかこの国の精神は崩壊するのではないか、などと憂いてしまうのは、決しておかしな考えではないと思っています。

写真・文:円満堂 修治

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2013年08月24日

PENSの想い その3

『すぐ役に立つことは、すぐに役に立たなくなる。すぐには役に立たないことを学んでおけば、ずっと役に立つのではないかとも思う。これが教養と言い換えてもいいでしょう』

池上彰著「学び続ける力」から引用させてもらいました。
池上さんの本は、まるで隣で優しく語りかけてくれているようで、いつも一気に読めてしまいます。

上記の言葉を、是非今の中高生、いや小学生たちにも知ってほしい。
すぐに結果を求めるこの時代、すぐに結果となって現れないことのほうが、その人の人生にとって、とても大切なことだったりするのかもしれません。


写真・文:円満堂 修治

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2013年08月22日

PENSの想い その2

私の生活圏での話です。

地元ボランティア員として、地域の里山を整備しています。
一昨年前から木を切り、そのうちのクヌギの木にシイタケ菌を植えるという、作業を地域の人たちと行なってきました。
ほとんどが私よりも一回り年上ですが、それが実ることを楽しみに、貴重な休日の午前中に、皆汗をかいて作業をしてきました。

時間が流れ、やっと食べれるほどに実って来たな、と思ったと同時に、待っていたように盗んで行く人がいました。
もちろん私たちの知らない人たちです。

まことに残念な話です。
その人たちは、一体どんな気持ちでそれを取って自分のカバンに入れ、そしてどんな気持ちでそれを料理して食べるのでしょうか。
それを食べたところで、どんな味がするのでしょうか。

「コト」
「モノ」

には、それぞれその裏に、

「想い」

というものが存在します。

それを忘れてしまった人たちは、本当に不幸です。
なぜなら、そういう人たちは、本当の幸せを感じることが、恐らく生涯出来ないから
です。

PENSでは、こういうことが
「いけない」
ではなく、
「自分ならどう思う?」
という視点で学んでほしいと考えています。

写真・文:円満堂 修治

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2013年08月20日

PENSの想い その1

少し前、ドラッカーがブームになりました。
正しくは、Peter.F.Drucker。
「もしドラ」は、映画にもなって有名ですよね。

ドラッカーとは、企業コンサルタントの神様のような方です。
実際には、ビジネス界に多大な影響をもった思想家というほうが正しいかもしれません。

2年ほど前、私もそのブームから少し遅れて、多くの書物を読んだものです。
もちろん「もしドラ」も読みました。
そう言えば、映画は高校生の娘が見ていました。

さて、ドラッカーを勉強した結果として、難しい言い回しはもちろんあるものの、自分なりの結論として、その根底にあるのは、

「世のために企業は存在している」

ということです。
この一文で、私は救われました。

企業人として、そしてPENSのトップとして、あらためて自分の中に確固とした自信と指針が生まれたのです。

そしてあらためて思うのは、PENSはそういう企業でありたい。
いや、そうでなければ、存在する意味はない。
ということです。


写真・文:円満堂 修治


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2013年08月18日

想うこと 130818

福知山花火大会での屋台火災において、原因が見えてくるにつれて残念な方向へ向かいつつある。
どうやら人災である。

「火」というのは、生活の中で当たり前の存在であり、日々お世話になるものだ。
ところが、あまりに便利にそれが利用出来ることになったがために、もう一方の「極めて危険」ということに、配慮がなくなってきているのも確かだと思う。

私も以前から、ガソリンやガスのキャンプツールを使っているが、双方とも、もしかすると、今回のような大惨事に起こるような失敗をしたことがある。
だから、偉そうなことは言えないが、常にまじめに取り組む姿勢と、いろんな経験を行なうことの重要性を改めて感じた。

PENSで、子どもたちのキャンプやサイエンス授業を行なっているが、その報告の中で、まさか、というようなものがある。
具体的には書けないが、思うことは「自己防衛力」「創意工夫」など、生命力に関わるところまで至るような深刻さである。
このままでは、近い将来、「えらいこと」になってしまうと思う。

だが、それではだめだ。
やはり頑張るしかない。


写真・文 円満堂 修治

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2012年07月08日

森の時間 その23

(なんだ、こりゃあ!)

本人自身も、そして、取り囲むチームも、誰一人この存在を知らない。
だが、ノンバーバルでグループワークが進む。

息をころして見守らねばならないことが、とにかく苦しい・・・。


写真・文:円満堂 修治

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2012年07月07日

森の時間 その22

みんな真剣だった。
そして、それを見守る私も真剣だった。

ところが、あるときに異様な存在に気づく。
その後、私の視線はその存在に釘付けに。

写真・文:円満堂 修治

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2012年06月23日

森の時間 その21

ひとつ残された靴。
それを探し求める手。

靴が、

「こっちこっち」
「もうちょっとだよぉ」

と、語りかけているようで、ここから絵本のような物語が生まれそうだ。

写真・文:円満堂 修治

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2012年06月22日

森の時間 その20

なんとか、全員履けたあと、次はノンバーバールで、との指示が。

「えー・・・」

少し暗い反応に、かなり苦労したことが伺えるが、更にその上を行こうというものだ。

写真・文:円満堂 修治

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2012年06月21日

森の時間 その19

人に靴を履かせてもらう。
人に靴を履かす。
それも、双方とも目隠しをして。

こういう普通では経験することないことを通して、いろんな想いが頭の中を巡る。

写真・文:円満堂 修治

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2012年06月20日

森の時間 その18

自分の声が、他の人の声でかき消されるため、更に大声になる。
それでもなんとか、自分の靴をキープしはじめると、少し静かになってきた。

・・・?
それ、本当に自分の靴?
結構、メチャクチャ。

写真・文:円満堂 修治

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2012年06月19日

森の時間 その17

目隠しした状態で、他の人に自分の靴を履かせてもらおうというもの。
まず、どれが自分の靴か、ともかく記憶と手に頼るしかない。

いや、それだけでは無理だ。
他のメンバーとの協力が必要だか、全員大騒ぎ状態で、はたしてうまくいくのだろう
か。

写真・文:円満堂 修治

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2012年06月18日

森の時間 その16

次の課題は、目隠しをして、靴を脱ぐ。
そしてそれをシャッフル。

さて、何が始まるのか。

写真・文:円満堂 修治

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森の時間 その15

出来るだけ肩を寄せ合って、ボールを投げるのではなく、手渡そうという作戦。
ボールの移動距離が少ない分、時間は短縮される。
確実、早さに、物理的思考が入った結果かもしれない。

そういう理屈は抜きにして、この光景に何故か心を温まるもの感じるのは私だけだろ
うか。
皆の広げる手、動く手が、とても優しい。

写真・文:円満堂 修治

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